2012年2月8日水曜日

ケアされる存在が放つエネルギー

ケアされる存在からケアする存在に対して放たれる、ケアをしなさいというエネルギーが存在するようだ。


それは、自らを犠牲にして子供を守る親の本能が代表的なのかもしれない。

それは、足の不自由な人間が信号横断中に倒れたのを見た時、赤信号になっても車を制止し、彼を起こし安全な所へ移動させるモチベーションかもしれない。

これはギブ&テイクでもなく、功利的でもない。


介護の舞台に目をやってみよう。

決して治癒することのない嚥下困難の中で誤嚥を繰り返す施設の入居者がいる。

苦しそうな視線を送る患者がそこにいる。

医師と患者と家族の間では、胃瘻や点滴などの治療は行わない同意がなされている。

もちろん、急変時に救急搬送はしないことになっている。


私は夜勤のヘルパーとして働いている。

私には、「何もしなくてもいい。ただ、見守っていればいい。誰も責めないし、このまま見守ることが、本人も家族も希望していることである。もちろん、救急車も呼ばなくてもいい。ここで最期をむかえることが、それが一番皆が望んでいることだ。」という言葉が申し送られている。

しかし、私は苦しい。元気な時の彼の姿を覚えているからという寂しさとはまた違う苦しさだ。

何をしなくてもいいし、何をすべきでもない。

考えれば、気楽な役割である。

しかし、本当に、苦しい。


何もしないという同意が全員に得られたとしても、ケアされる存在から放たれた得体のしれない何かのエネルギーが私を苦しめている。


恐る恐る、のぞいた部屋には、穏やかに、何事もなく、ただ、呼吸のない彼が横たわっていた。

淡々と家族に連絡をし、医師へ連絡をする。


医師は患者と私にお疲れ様でしたと言った。

そして、家族は本気で涙をうかべて、今までありがとう、と私に言った。

私は、通常の業務に戻った。


しかし、いつもだ。何もしないという同意が得られたとしても、弱り行くケアされる存在から放たれる得体のしれないエネルギーが私を苦しめる。そのエネルギーはケアされる存在からもっとも近くにいるケアをする存在に、情け容赦なく降り注ぐようだ。

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